失われた日本魂―超古代史が今、静かに動き出す

 

板野郡戸籍木簡写し1 板野郡戸籍木簡写し2 板野郡戸籍木簡写し3 板野郡戸籍木簡写し4
板野郡戸籍木簡1 板野郡戸籍木簡2 板野郡戸籍木簡3 板野郡戸籍木簡4

 

この写真の戸籍は阿波から出土した木簡に記載されていた物の写しですが、出土当時は我が国最古の戸籍でした。

 

ちょっと見て、奇妙なことに気づかれないでしょうか? そう、この郷(部落)の中には成年男子がほぼ皆無と言ってよいほど記載されていないのです。
阿波古代史の大先輩、小杉氏は全国の文献を30年間調査しつくしてこれについても述べていらっしゃるのですが、こういう戸籍は皆無であろうと言われています。ですが、これこそが阿波が本国であったことの証のひとつなのです。

 

現代で想像してみてください。もしも東京が大阪へ遷都したとしたら? 官公庁は新築するとして、大阪で新たに雇い入れた公務員で業務が回りますか? 東京からすべて異動させるのではないですか?

 

倭(阿波)から大倭(奈良)へ王都を移遷したのちも中世平安時代はもとより室町時代まで、阿波では成年男子は都へ出仕する義務があったのです。
普通に考えたら部落の働きの中心である働き盛りの男手を全て都に出仕させねばならないとすれば当然不平不満が出るに違いありません。しかし阿波に都があった時から男子は出仕し、男は基本的にあてにならない状態であっただろう阿波女にとって、それはそれで当たり前のことと受け止めていたに違いありません。
都は奈良に移り都が遠くなっても、都の中枢を担っている事への誇らしさがあったでしょう。

 

もちろん定年になれば帰郷するし、虚弱であれば出仕しないこともありえることです。ですから虚弱な男子と老人は戸籍に存在するのです。

 

やがて奈良や京都に住むようになり、本拠地が移ったので新撰姓氏録では阿波が膨大な数で出身地となって記述されているのです。小杉氏を含む阿波国国史研究会のメンバーは大正時代にこの戸籍に記された一人一人について新撰姓氏録にもとづき、奈良、京都、河内地方との突合せを行い、天皇家を支える名族ばかりなのを確認されています。たったひとつの部落の戸籍でも、都の高官と全くひけをとらない出身名族の数、阿波全体の戸籍が残されていたら、さぞやそうそうたる数になったであろうと思われます。

関連ページ

イヌマキ
隠された阿波古代史。阿波国風土記(阿波風土記)を探っていくと超古代!日本人は世界を担う大変な役割を持っていたことがわかってきます。世界の中での日本人の役割とは?なぜ阿波は隠されたのか?えらこっちゃ、えらこっちゃ、よいよいよいよい〜!
青石
隠された阿波古代史。そこを探っていくと超古代!日本人は世界を担う大変な役割を持っていたことがわかってきます。世界の中での日本人の役割とは?なぜ阿波は隠されたのか?えらこっちゃ、えらこっちゃ、よいよいよいよい〜!
さざれ石
隠された阿波古代史。阿波国風土記(阿波風土記)を探っていくと超古代!日本人は世界を担う大変な役割を持っていたことがわかってきます。世界の中での日本人の役割とは?なぜ阿波は隠されたのか?えらこっちゃ、えらこっちゃ、よいよいよいよい〜!
古墳と神社の組み合わせ(城王(すきのお))
隠された阿波古代史。阿波国風土記(阿波風土記)を探っていくと超古代!日本人は世界を担う大変な役割を持っていたことがわかってきます。世界の中での日本人の役割とは?なぜ阿波は隠されたのか?えらこっちゃ、えらこっちゃ、よいよいよいよい〜!

トップページ 基の巻 発展の巻 自由発想の巻