江戸幕府のお墨付き:古代の天子葬の場捜査指図
元禄10年(1697年)、徳川幕府の老中土屋相模守から徳島藩の江戸留守居役に向けて、「阿波と淡路二州の古代の天子の葬場を探し報告せよ」との覚書が出されました。つまり徳川幕府は、当時の徳島と淡路に天皇の御陵があることを知っての命令だったわけです。
この覚書は幻の書となっている阿波国風土記を基にしたものであったと思われます。
この覚書を受けて、徳島藩が探索したひとつが反正天皇(はんぜいてんのう)の御陵でした。古事記に記載してある瑞歯別命(みずはわけのみこと)=反正天皇の御陵の場所(毛受原:もうけがはら)を探索したところ、出土した遺品目録控えがこの写真です。
古事記の記述通りの場所と様相が一致する、本来ならば世紀の大発見となるところですが、残念なことに闇に葬らてしまいます。出土した観音山のふもとに、徳島藩は屋根瓦に十六菊花紋を配した神社を造り弔ったといいます。
現在はもう残されていないのでしょうね。
反正天皇出土目録写その1 |
反正天皇出土目録写その2 |
反正天皇(336年?〜410年2月12日)
第18代天皇
在位:406年2月3日〜410年2月12日
仁徳天皇の第三皇子
一方、伊弉諾尊、伊弉冉尊の御陵を探せと場所を指定されて発見されたのが伊弉諾尊の御陵。その上に建てられたのが淡路島の一宮である伊弉諾神宮です。
かたや、伊弉冉尊の御陵は高越山(こうつざん)にひっそりと地元の方に守られています。以前友人数人をその御陵にお連れしたことがありましたが、その場所のエネルギーの高さ、気持ちよさに、皆さん、感動されてました。御陵を出た後の皆さんのはじける笑顔が印象的でした。
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