失われた日本魂―超古代史が今、静かに動き出す

.お上(かみ)のお墨付き記事一覧

源頼朝のお墨付き:忌部大神宮

「お上のお墨付き」の最初に取り上げるのは、源頼朝のお墨付きです。源頼朝は鎌倉幕府(1185〜1333年)の初代征夷大将軍。その頼朝が阿波の神社を所領安堵した書状の内容を写したものがこの画像です。文治3年(1187年)、源頼朝が鎌倉幕府を開いた直後、阿波にあった「忌部大神宮」の所領安堵(土地権利の承認...

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鎌倉幕府のお墨付き:御衣御殿人の任命書状

天皇が即位したときに行われる儀式に践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)があります。即位後初めての新嘗祭を一世一度行われる祭として、大規模に執り行うこととなり、律令ではこれを「践祚大嘗祭」とよび、通常の大嘗祭(=新嘗祭)と区別したものである。(Wikipediaから引用)「御衣御殿人」(みぞみあらかんど...

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足利幕府のお墨付き:麁服の貢進

足利幕府においても麁服の貢進が行われてたことがわかります。(図参照:上段が原文、下段が活字版))この貢進は戦国時代の混乱時に途絶えてしまいましたが、大正時代に三木家が宮内庁に直訴して貢進が復活されました。大正、昭和、平成と引き継がれ、この阿波の山中にある三木家から麁服が貢進されています。平成の貢進で...

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江戸幕府のお墨付き:古代の天子葬の場捜査指図

元禄10年(1697年)、徳川幕府の老中土屋相模守から徳島藩の江戸留守居役に向けて、「阿波と淡路二州の古代の天子の葬場を探し報告せよ」との覚書が出されました。つまり徳川幕府は、当時の徳島と淡路に天皇の御陵があることを知っての命令だったわけです。この覚書は幻の書となっている阿波国風土記を基にしたもので...

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明治政府のお墨付き:応神町の誕生

徳島市内に「応神町」と言う町があります。これは明治以前は住吉町の一部でした。それが明治時代に行政分割されたのですが、その理由が明治政府のお墨付きとなる訳です。現在の応神町に住む住人は、住吉町からの行政区の分割を願い出たのですが、その理由が、「この場所は応神天皇の生誕地であるから、応神町にしてほしい。...

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