失われた日本魂―超古代史が今、静かに動き出す

阿波古代史についての理解を深めるために

山並み

 

阿波古代史について、理解を深め、推測する(説を立てる)のは楽しいものです。しかしながら、前提条件を満たさずに説を立てようとすると見当はずれなことになるということを説明したいと思います。では、私が考える前提条件について書いてみます。

 

古代人について考える

古代人とぴったり同じようには考えられませんが、できるだけその思いその環境その時代背景等を踏まえて説を立てねばなりません。

 

 

古代人の主な構成を考えてみますと、稲作等が導入されていれば、農耕者、さらに部落や国を統括する政(まつりごと)を司る職、及び吉凶を占い豊作を祈願する祭事を行う神職がいました。農耕者や政を司る者は「目に見える世界」を、祭事を司る者は「目に見えない世界」を統治していたと言えると思います。

 

 

政については政争がつきもの、その歴史的な証拠や文書は、征服したものが都合の悪いものは抹消・抹殺してしまいました。一方、祭祀を司る神職は政からは距離を置いていれば比較的、文献や伝承を残しやすいと言えます。神社に残っている社務記が出てくれば、歴史的真実は政に関する文書に比べて中立性が高いといえると思われます。

 

神職について考える

そうした神職が使っていた文字ですが、丹波国の一宮である籠神社(このじんじゃ)には書庫に2500年の歴史が所蔵されていると言います。逆に言えば、漢字が中国から入る前には日本には文字はないことになっていますが、この書庫の所蔵品が文字で書いてあることから私たちが教えられている事とは異なることになります。

 

 

例えば新たな領地ができてそこに神社を創設しようとすると、ご神体が必要となります。その方法とは、「魂ふりの法」(本体の魂から分け御魂をする方法)を用いて御魂を分け、そのご神体を御霊分けするのですが、当然、本宮から誰かを派遣しないと同じ神事が継承できないわけで、支社は常にどこから分かれたか社務記にも記載し、本宮を大事に信奉したと思われます。

 

 

つまり何事もなければ、神職は自分たちの歴史と伝統を守り伝えようとする人たちであると言うことです。村人も、何事もなければ、自分たちの作物の豊作を祈願してくれる神社とその関係者を大事にしたことでしょう。

 

 

ではなぜ、その10年1日と続くはずの神社の歴史と伝統が途絶えてしまったのかと言えば、ひとえに政治の介入と思われます。政治の介入は武力、または権力で、ある場合は焼き払い、ある場合は左遷しと言った形で、否応なくその伝統の継承を妨害してきました。

 

 

それでも神職、村人全員の記憶を消すことはできないと思われます。妨害を受けた人たちはどれだけ無念だったでしょうか。許されるなら自分たちの神社を復興させようとし、その本宮からの伝統を書き残したと思われます。

 

 

それさえも残されていないのは、もう徹底的に隠されたと言う結論にしかないと思います。裏を返せばそこまでしてでもも知られたくない重要な事実だったといえるということです。従って、「忘れ去られた」などと言う推論はありえません。

 

 

つまり、阿波古代史を考える上では、祭祀を司っていた神職や神社及びその神事に関わる「目に見えない世界」についての知識、感性がどうしても必須になってくると思うのです。

 



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