鎌倉幕府のお墨付き:御衣御殿人の任命書状
天皇が即位したときに行われる儀式に践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)があります。
即位後初めての新嘗祭を一世一度行われる祭として、大規模に執り行うこととなり、律令ではこれを「践祚大嘗祭」とよび、通常の大嘗祭(=新嘗祭)と区別したものである。(Wikipediaから引用)
「御衣御殿人」(みぞみあらかんど)とは、天皇が即位する践祚大嘗祭において、天皇が即位するための儀式に必須の麁服(あらたえ)を制作・献上する特別な家柄のことです。
麁服とは麻でできた装束であり、天皇が天照大神と一体になる時に着る特別なものです。つまり、この麁服がなければ、天皇になれないと言った特別な装束なのです。
鎌倉幕府はこの阿波の山の中にある木屋平(こやだいら)村の村人とこうした書状を交わして麁服貢進の契約を結んでいました。「御衣御殿人十三人衆」と呼ばれ、十三もの家があったのは、万一麁服が貢進できないと践祚大嘗祭ができなくなる恐れがあるからリスクを分散していたわけです。今では麁服を貢進するのは三木家しか残っていないので、三木家だけがその役割を持った血筋と思っている方も多いのではないかと思いますが、そんなことはありません。
では、この三木家がどんなロケーションにあるかというと、徳島市街から離れていて、くねくね道を上がった標高600メートルの山の上です。そこに大嘗祭に重要な役割のある麁服を作る唯一の名家があると言うことです。
なぜそのような重要なものを伊勢神宮のある三重や京都や奈良ではなく、徳島の山奥で作られているのでしょうか?
そこには私たちのほとんどが知らない隠された歴史があったからです。