失われた日本魂―超古代史が今、静かに動き出す

源頼朝のお墨付き:忌部大神宮

頼朝書状

「お上のお墨付き」の最初に取り上げるのは、源頼朝のお墨付きです。源頼朝は鎌倉幕府(1185〜1333年)の初代征夷大将軍。その頼朝が阿波の神社を所領安堵した書状の内容を写したものがこの画像です。

 

 

文治3年(1187年)、源頼朝が鎌倉幕府を開いた直後、阿波にあった「忌部大神宮」の所領安堵(土地権利の承認)を約束した書状の文面です。

 

 

忌部大神宮とは、現在は幻となった日本国きっての大神宮でした。書状の中にも掲載されておりますが、その境内は「三里四方の霊地」と呼ばれ、今で言えば、16km四方の神領を有して国司が大宮司を兼ねていた日本第一の神社だったのです。

 

 

鎌倉幕府を開いた直後に頼朝がすぐに所領安堵すると言うことは、頼朝がこの忌部大神宮をいかに大事に思っていたかが推察されます。阿波が単なる地方の国であれば、京の都からも辺鄙な阿波を、東国出身の武士の頼朝が特に意識するような場所ではないはずですが、幕府設立後間もなくこのような書状を出したということは、当時音に聞こえた忌部大神宮の大切さをよく理解していたということがうかがわれます。

 

 

この書状には載っていませんが、文面の最後には「麻植国 大宮司様」となっており、征夷大将軍である頼朝が大宮司と言った表現からも、その地位の高さがうかがえます。

 

 

その忌部大神宮は戦国時代、三好氏に所領を奪われ、最後は長曾我部氏に焼打ちにあって現世から消えてしまいました。

 

 

江戸幕府が再興しようとしたのですが、これを認めると領地が縮小する蜂須賀家にかわされ再興はなりませんでした。現在はわずかに忌部大神宮の西宮と言われた場所に「五所神社」が残るにとどまっています。