世界中に広がる菊花紋

さて、世界中に広がる「十六菊花紋」について、具体的に見ていきましょう。

画像を見るたびに、みなさんの世界史観が変わっていけば、幸いです。正確に古い順に紹介するのは年代不明もあって無理なのですが、概ね古い順に紹介していきますね。

  • 伏羲と女媧

伏羲は「中国伝説の帝王」と言うことで、その生存年代は紀元前3350年~紀元前3040年とも言われているので、最初に紹介します。

この画像の真ん中上部に「菊花紋」と思われるシンボルがありますね。また、伏羲が手に持っているのは定規、女媧が手に持っているのはコンパス、そして星座が周りにちりばめられているのは、これらを天体観測(航海?)に使ったものと思われます。古代縄文人は世界中を航海していたとも言われてその痕跡はいろいろな形で残っており、それはまた別の機会にお話ししますね。

伏羲と女媧
古代バビロニア王のレリーフ・ベニンの石板
  • 古代バビロニア王のレリーフ・ベニンの石板

古代バビロニアは紀元前2000年から紀元前1000年にかけて栄えた王朝と言われております。(右側の画像)このレリーフは砂漠の真ん中から出土したということですが、手首に菊花紋がありますね。

またベニンの石板(左側の画像)については作成年代が不明です。右上に菊花紋が見えます。古い年代の物のようですが、高度に発達した文明が伺われるレリーフですね。

  • ラムセス2世の妻の胸像

ラムセス2世(Ramesses II、紀元前1303年 – 紀元前1213年)は、エジプト新王国第19王朝のファラオ(在位:紀元前1279年 – 紀元前1213年)です。(Wikipediaより)この胸像の乳首の部分にある彫刻は菊花紋と思われます。

ラムセス2世の妻の胸像
プスセンネス1世の履物
  • プスセンネス1世の履物

プスセンネス1世(在位:前1039 – 前991年頃)は古代エジプト第21王朝の第3代ファラオです。(Wikipediaより) 鮮やかな黄金の履物のかかと部分にくっきりと菊花紋が彫られておりますね。先述のツタンカーメンは発掘当時、このような黄金の履物と弓に菊花紋が彫られていたと伝わっております。その画像があると、もっと信ぴょう性が増しますね。

  • マヤ王国の石碑

マヤ王国は紀元前1000年頃から1600年まで、現在のメキシコのユカタン半島から、ベリーズ、グアテマラ、ホンジュラスといった国々で栄えた文明です。(Wikipediaより)

年代の幅が広いので特定しにくいのですが、石碑と言うことで紀元前のものではないでしょうか?石像頭部の両側に菊花紋が彫られております。

マヤ王国の石碑
アテネ博物館所蔵の牛の頭部
  • アテネ博物館所蔵の牛の頭部

年代は不明ですが、この牛の頭部には見事な菊花紋が彫ってありますね。

  • アメリカ ホピ族が使う羽玉

ホピ族はアメリカ・インディアンの部族の一つです。「羽玉」の使い方を説明した資料が入手できていませんが、儀式に使うものでしょうか? 

アメリカ ホピ族が使う羽玉

どうでしょうか? 世界にちらばる菊花紋は、まだまだたくさんあると思います。まずは「そんなこともあるのか。」と思っていただければ、超古代日本人への世界観は少しずつ変わっていただけると思います。

コメントする

CAPTCHA