ツタンカーメンは日本人だった!?

ツタンカーメンと言えば、日本人になじみの深い古代エジプト王です。

Wikipediaによれば、

ツタンカーメン(紀元前14世紀、紀元前1342年頃 – 紀元前1324年頃)は、古代エジプト第18王朝ファラオ)となっております。

Wikipedia

その頃、日本と言えば縄文晩期で、今の古代での定説では、文字もなくてこれから弥生時代に向かう過渡期ではないでしょうか?

そんな時代に「エジプトでは日本由来の文明が花開いていた」とは、多くの日本人は思っていないでしょう。

では話を少し変えまして、現在も天皇の紋章と言われる「菊花紋」。

これは日本の王朝由来のものだと思いますか?

「菊花紋がエジプトなど海外由来のもののはずがない。これは日本独自の紋章だ。」と思われますか?

そう思われるならば、話は早いのです。

現在では隠されておりますが、1922年にツタンカーメンが発掘された時に、ツタンカーメンは全身「菊花紋」に覆われていたと言います。(画像参照)

ツタンカーメンの菊花紋

「そんな話は嘘だ。ありえない。」と思われた方には、以下のエピソードをご紹介しましょう。

その1 友人がエジプト博物館を訪れた時に、「その副葬品が「菊花紋」で覆われていた。」と証言したこと。これは直接私が聞いた話です。

その2 日本で「ツタンカーメン展」が開催された時に、私自身が副葬品の中に「菊花紋」を発見したこと。この副葬品の「菊花紋」探索の目的のみで、広島から大阪の展覧会に行きました。

以上2点、特に自分の目で探し当てたときの感動は、今でも忘れられません。

「エジプト博物館では副葬品が「菊花紋」で覆われていた」というエピソードと、「私が「ツタンカーメン展」で一所懸命「菊花紋」を探して、やっと1点見つけた」というエピソードとのギャップから推測する結論はただ一つ。

ツタンカーメンの関連物には当たり前にある「菊花紋」のついた副葬品を、わざわざ門外不出にして日本展に出品しなかった。私が発見した1点は、入念なチェックをすり抜けて、幸運にも私の見るところとなった。

と言う結論にたどり着きます。

「それでもあの派手なデスマスクはどう考えても日本人に思えない。」とお思いになる方にダメ押しの画像をお届けします。

白黒なのですが、これはツタンカーメンのデスクマスクの装飾を取ってみた画像です。

ツタンカーメン原形の顔

平面的な彫りの浅い顔、一重で切れ長の目、そして高くない鼻が顔の真ん中にあること。まるで日本によくいる少年の顔だと思いませんか?

そして「菊花紋」という、高度にデザイン化された紋章が存在する文明は、それだけでも高度に発達した文明だと推測できると思います。

こうしてみなさんの世界古代史観に一つ一つ、風穴を空けていきたいと思いますので、お楽しみに。

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