失われた日本魂―超古代史が今、静かに動き出す

動かぬ証拠記事一覧

倭大国魂神社

一見、普通の村の神社のように見えますが、これは倭の国魂を守る神社。とんでもないものがいろいろと阿波にはあります。倭の国魂を守る神社は本来、国にひとつ。大和朝廷の国魂を守る神社は奈良に大和神社(おおやまとじんじゃ)がひとつあります。ではこの倭とは何でしょうか?邪馬壹国の邪馬壹と書いて「やまと」と読むこ...

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三種の御膳

践祚大嘗祭で献上される「三種の御膳(みけ)」のうち、主膳二膳は阿波で作られた食材であった本祭の儀式祭の当夜、天皇は廻立殿(かいりゅうでん)に渡御し、小忌御湯(おみのおゆ)で潔斎して斎服を着け、深夜、悠紀殿(ゆきでん:千木は伊勢神宮外宮と同じ外削ぎ)に入る。悠紀殿には、南枕に布団(衾)が敷いてあり、沓...

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太龍寺縁起

天長二年(825年)、教王護国寺の管長になっていた空海が、阿波国太龍寺の縁起を書いています。画像はその表紙と一文の抜粋。そこには金剛遍照撰を修め、「阿波國那賀郡舎心山太龍寺天神七代之内六世面足尊煌根尊降居坐磯輪上秀真国是也」と書いてあります。つまり、「磯輪上の秀真の国は阿波国なり」と書いているのです...

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伊邪那美神社

「お上のお墨付き 江戸幕府編」でも書きましたように、江戸幕府の老中からの密命で、伊奘諾、伊邪那美の御陵も極秘調査せよとの命令がでておりました。その結果見つかった伊奘諾の御陵の上に建てたのが淡路の一宮である現在の伊奘諾神宮です。ではもう一つ伊邪那美の御陵はと言うと、現在も地元の方にひっそりと守られてお...

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太政官道

太政官道とはお役人が通る公式ルートで、公用で国府等へ出張するときに通る道です。例えば都を出発し、四国に上陸して土佐国府へ向かう道は、四国中央を東西に流れる吉野川沿いを進み、そのまま途中から南下するのが距離的にも道の難易度的にも、安全で近い最良のルートだったはずなのです。ところが実際に設定されたルート...

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阿波国風土記

掲載の画像は、阿波古代史人気ブログを書いていらっしゃる「ぐーたらさん」主宰の「阿波国(続)風土記解読プロジェクト」に掲載されている阿波国風土記の出だしの文章抜粋です。麻植郡の章ですが、いきなり新嘗祭の最中にスサノオノミコトが乱入する場面が掲載してあります。古事記では有名なエピソードですが、これが当時...

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