失われた日本魂―超古代史が今、静かに動き出す

宇佐八幡神社

 

宇佐神宮と言えば、誰もが大分にある宇佐神宮を思い浮かべることでしょう。

 

ではその宇佐神宮は元宮なのでしょうか?725年(神亀2年)には確かに現在の大分に創建されたのでしょうが、「宇佐」の名前の由来は伝わっていないのではないですか?

 

宇佐八幡神社

 

阿波の国では宇佐とは元々、「宇狭」。阿波は古代、「倭の国」(いのくに)と呼ばれておりました。その倭の国の中心部であるから、「一宇」(いちゅう→いちう)という地名が今でも残っております。一宇にある鮎喰川のそばに鎮座していた龍宮(たつのみや)が大雨による増水のため、流されて、たどり着いた狭いところ。つまり、「一宇の狭いところ」という意味で「宇狭」→「宇佐」となったと伝えられています。

 

今でもこの宇佐神社は、大きな鳥居が建立されていて、「こんな徳島市内から離れたところにこんな神社があったのか。」と、初めて参拝したときは驚いたものです。


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